おさしず検索
村田かじ昨晩より腹痛に付願
さあ/\尋ねる事情/\、どうも一時身上の処迫る処、いかな事であろう。だんだん尋ねる処、身上悩む/\。身上悩むやない。心という理が悩む。身上悩ますは神でない。皆心で悩む。前々どうであろう、こうであろうと、一時迫る処、だん/\兄弟寄り合うて、どうでもこうでもと、順序運んだ理あろう。それよりだん/\順序あら/\分かり、これでという処から、身上鮮やかな理。又後々一つ出けた一つ理、もう/\何が順序と思う。一つなあ/\心に掛かる/\。身の内から掛かる処ならん。すうきり心に掛かる処運んで、心休め。後々どういう話あろうと、こういう話あろうと、命限り/\、掛かろという/\。順序運んでやるがよい。
後々と仰せ下されますか、林由松の処でありますか、と押して願
さあ/\心に掛かれば、心に掛かるというは言うまで。心に掛かる、よう思やんしてみよ。元々から理あったものやない。だん/\寄り合うたもの。そこでさしづ明らかというは明らか。これはなあというは、なあ。心定めて、成っても成らいでも、身上はどうなってもというは、これ神の真実。仮名を仮名と言う。これ一つ。
後々と仰せ下されますか、林由松の処でありますか、と押して願
さあ/\心に掛かれば、心に掛かるというは言うまで。心に掛かる、よう思やんしてみよ。元々から理あったものやない。だん/\寄り合うたもの。そこでさしづ明らかというは明らか。これはなあというは、なあ。心定めて、成っても成らいでも、身上はどうなってもというは、これ神の真実。仮名を仮名と言う。これ一つ。
【説明】
村田かじ、本部員村田慶蔵母堂。 身上悩むのだと思うであろうが、身上なやむのではない。人間心という理が悩むのである。身上悩ますのは、親神様ではなく、みな人間心で悩むのである。以前身上が迫った時に、兄弟が、どうであろうこうであろうとより合って相談し、どうでもこうでもと、一軒たて出して、身上あざやかに御守護いただいた理があるであろう。ところが、又あとでもう一軒たて出すことになると、とてもそうしたことは出来そうになく、心配になるのももっともだが、身上の悩みから思案して、心配してはならない。すっきり心配のところは運んで(もう一軒たて出して)心を休めよ。あとで、どんな話があろうとも、生命がけで順序(手順)を運んでやるがよい。という意味で、腹痛は、理を運べということを指示されたのであろう。
村田かじ、本部員村田慶蔵母堂。 身上悩むのだと思うであろうが、身上なやむのではない。人間心という理が悩むのである。身上悩ますのは、親神様ではなく、みな人間心で悩むのである。以前身上が迫った時に、兄弟が、どうであろうこうであろうとより合って相談し、どうでもこうでもと、一軒たて出して、身上あざやかに御守護いただいた理があるであろう。ところが、又あとでもう一軒たて出すことになると、とてもそうしたことは出来そうになく、心配になるのももっともだが、身上の悩みから思案して、心配してはならない。すっきり心配のところは運んで(もう一軒たて出して)心を休めよ。あとで、どんな話があろうとも、生命がけで順序(手順)を運んでやるがよい。という意味で、腹痛は、理を運べということを指示されたのであろう。
【摘要】
腹痛には(1)理を十分に治めること (2)理を聞き分けて運ぶこと(実行すること)をさとしていられる場合が多い。りは特にいんねんの理、たんのうの理を指していられるように思われる。
腹痛には(1)理を十分に治めること (2)理を聞き分けて運ぶこと(実行すること)をさとしていられる場合が多い。りは特にいんねんの理、たんのうの理を指していられるように思われる。