おさしず検索
増野正兵衞、道興、おとも風邪熱強く、又春野喜市風熱、たか血を吐き障りに付願
さあ/\尋ねる事情/\、さあいかなる事も尋ねるやろ。内々あちら障り、こちら障り、身上に掛かって来ればどうである。尋ねたら、どんな諭もこんな諭も、一つ分かるやろと楽しんで居る。一つ詳しい諭す。よう聞き分け。尋ねて分からん処、尋ね返やせ。これよりしっかり諭す。元々から諭す。取りようで違い、前々元というは、国との処/\、縁談々々一つ結んで当分々々国に治め、それより道にほのか。これを聞いてこれを定め掛けたる。人一つでどういう事もこういう事も出ける。初めて国を立ち越し、夫婦々々縁という。見ず知らず/\の事である。それより縁あって長らえて道、この道に赴いた道。それから長い年限の中に嬉しい日もあゝという日もある。又長らく小人あたゑ無く又あたゑという。折角小人与えて貰たのにこういう事でなあと案じる事ある。それより、案じるやないとさしづあった。又一つ中に一人というは十分という。十分という中に、はっというは、いんねん為す事情と定めてくれにゃならん。めん/\兄弟いんねんの理、又子供いんねん聞き分けにゃならん。国を立って留まった事寄せて、一つ与えある。順序治まったる。めんめん半端というは、理である。なれど、いんねん為す事と定めてくれ。又兄弟々々子供どうして居るというは分からん。めん/\側に居れば、互い/\という、頼りという、古い親という。これはどうでも成る/\。そこで、成るよう行くよう扶け合いという。人を救けるはこの道なら、尚々血筋というは尚も扶け合い、たんのうしてすれば、過ぎたる者も勇んで居る程に/\。これよりにして心に掛けさゝず掛けさゝず、十分たんのうして、年取れたる者は、どうでも成る/\。めん/\これではいかん、どれではいかんと思わず、同じ心持って寄ったる者、尚々親切に持って行くは理であると心に治め。年取れたる者は、どうでも成る/\。たんのうして連れ帰ったる者/\、若き夫婦仲好く/\過ぎたる者の頼むという/\。さあ/\身上から尋ねた。ほんに不思議であった、と、真に治めてくれるよう。
押して、普請に付地所も求めて致しましたが引き続き取り掛かりましたものでありますや、しばらくじっくりしたものや願
さあ/\尋ねる/\。それは、どうしょうとまゝと言う。心にこうしてくれというは、これは満足であろ。どうしたらよかろと、心に巻かれて、どうしたらよかろと言う。よう聞き分け。する事大層思うやない/\。めん/\あたゑある。何も遠慮気兼は要らん、遠慮気兼は要らん。
押して、普請に付地所も求めて致しましたが引き続き取り掛かりましたものでありますや、しばらくじっくりしたものや願
さあ/\尋ねる/\。それは、どうしょうとまゝと言う。心にこうしてくれというは、これは満足であろ。どうしたらよかろと、心に巻かれて、どうしたらよかろと言う。よう聞き分け。する事大層思うやない/\。めん/\あたゑある。何も遠慮気兼は要らん、遠慮気兼は要らん。
【説明】
増野正兵衛、本部員。 始めて国を出て、縁があって夫婦になった。もともとお互いに見ず知らずの間柄であったが、縁があって夫婦となってから長く暮らした。それからお道の信仰に入り、長い年月の中には、嬉しい日もあり、ああと溜息の出る日もあった。長らく子供のお与えがなかったが、ようやくお与えいただいた。折角の子供を与えてもらったのに、こういうことではなぁと案じることもある。 各自兄弟となるもの因縁の理によるものであるし、又子供として生まれるのも因縁の理であることを聞き分けねばならない。 そこで、具合よく成るよう行くよう助け合いということが大切である。人を助けるのがこの道であるのであれば、尚一層血縁関係の者は助け合いが大切である。 これではいかん、どれではいかんと思わず、同じ信仰心をもって寄り集まったのであるから、一層親切をしあうことが天の理に叶うことであると心に治めよ。 \n\n (1) 増野正兵衛氏 本部員。 嗣子道興氏と長女おとも姉の身上願と、また正兵衛氏の姉きち姉の二男喜市氏(旧姓田中、春野家を継ぎ梅谷四郎兵衛氏息女たか姉を嫁に迎えた)とたか姉の身上願を合わせて伺った。 (2) 正兵衛は故郷山口県萩を経ち、関東、関西三の宮に転じ、明治七年いとと結婚。糸女のそこひより入信した。それから長い年限の中にどんな日もあった。長らく子供がなかったところ明治二十三年道興が生まれた。ところが折角子供を与えてもらいながら、顔から頭一面できものができ夜通し泣き通し、こういうことではなあと心配した日もある。それよりしんぱいするのやないとおさしづ(明治二十三年五月十日)を戴いたことがある。また全く心配も無いと思っていた妻のいとが明治三十三年九月九日出直した。このような衝撃を受けるのは深いいんねんによる者と心を定めてくれねばならぬ。 (3) 人をたすけるのがこの道である。親子兄妹血縁につながる者は、なお、たすけ合いたんのうして通ってくれ。老人たちもしっかり勇んでいる(「鼓雪全集・別冊」24頁参照)。
増野正兵衛、本部員。 始めて国を出て、縁があって夫婦になった。もともとお互いに見ず知らずの間柄であったが、縁があって夫婦となってから長く暮らした。それからお道の信仰に入り、長い年月の中には、嬉しい日もあり、ああと溜息の出る日もあった。長らく子供のお与えがなかったが、ようやくお与えいただいた。折角の子供を与えてもらったのに、こういうことではなぁと案じることもある。 各自兄弟となるもの因縁の理によるものであるし、又子供として生まれるのも因縁の理であることを聞き分けねばならない。 そこで、具合よく成るよう行くよう助け合いということが大切である。人を助けるのがこの道であるのであれば、尚一層血縁関係の者は助け合いが大切である。 これではいかん、どれではいかんと思わず、同じ信仰心をもって寄り集まったのであるから、一層親切をしあうことが天の理に叶うことであると心に治めよ。 \n\n (1) 増野正兵衛氏 本部員。 嗣子道興氏と長女おとも姉の身上願と、また正兵衛氏の姉きち姉の二男喜市氏(旧姓田中、春野家を継ぎ梅谷四郎兵衛氏息女たか姉を嫁に迎えた)とたか姉の身上願を合わせて伺った。 (2) 正兵衛は故郷山口県萩を経ち、関東、関西三の宮に転じ、明治七年いとと結婚。糸女のそこひより入信した。それから長い年限の中にどんな日もあった。長らく子供がなかったところ明治二十三年道興が生まれた。ところが折角子供を与えてもらいながら、顔から頭一面できものができ夜通し泣き通し、こういうことではなあと心配した日もある。それよりしんぱいするのやないとおさしづ(明治二十三年五月十日)を戴いたことがある。また全く心配も無いと思っていた妻のいとが明治三十三年九月九日出直した。このような衝撃を受けるのは深いいんねんによる者と心を定めてくれねばならぬ。 (3) 人をたすけるのがこの道である。親子兄妹血縁につながる者は、なお、たすけ合いたんのうして通ってくれ。老人たちもしっかり勇んでいる(「鼓雪全集・別冊」24頁参照)。
【摘要】
風邪は人間思案を先に立て、神一條の理をうすくし、不足のほこり心を遣ってはならない、ということをさとしていられる。風邪のため熱があるのは、人間思案の上から、一列兄弟の理を忘れ、一手一つを欠き、すれ合ってはならぬ、ということをさとしていられる。 \n\n 子供に関するおさしづを検索すると、次のような点が指摘されている。 一、 親と子の関係 (1) 子供は先祖の魂の生まれ更わりである。親が子となり子が親となり、互いに恩の報じ合いをして通るのである。 山沢さよ姉は祖母に当たる梶本ひさ姉の生まれ更わり、永尾たつゑ姉は永尾家三代前の母の生まれ更わり、増野道興氏は祖父庄兵衛氏の生まれ更わりである。 なお前生いんねん果たしができていなければ、そのいんねんを今生に持ち越す。また親がいんねん切りの道を通れば子供はしあわせになる。親がたすけ一条の道を通らなければいんねんは切れない。 (2) 嗣子はいんねんによって結ばれる。よい子を持つも、よくない子を持つも、すべていんねんによる。 (3) 子供は先祖から受け継いだ理を享けて通るものである。ただ一代限りだと思ってはならぬ。理は末代である。 二、 子供とは (1) 子供は各自持って生まれた徳分を持つ。子供が幾人いても神が引き受ける。 (2) 子供は十五歳まではおやのいんねん、すなわち十四歳以下は親のいんねん、先祖代々のいんねんを担うものであり、十五歳以上は本人の心遣いによる。現在教会本部で戴くおまもりは、十四歳以下は子供おまもりを戴く、十五歳以上は大人のおまもりを戴く。 (3) 子供は宝である。仮に今は宝のように思えなくとも、将来かけがえのない宝である。 三、 子供の身上 (1) 子供の患いは一家中の患いである。 (2) 子供の身上は、親の心遣いの投影である。山沢ミキノ姉の上げ下し、永尾たつゑ姉や梶本ミチ姉の夜泣きは、親の心の投影であると言われる。 (3) 子供の身上より心を定めよ。子供の身上は精神定めの台である。小児深谷景三の身上障りを通し、河原町分教会の事情定めによって、甲賀・水口・湖東の分離昇格が打ち出された。山名分教会の諸井政一氏の身上によって後継者問題が再確認された。 (4) 親にとって子供は可愛いものである。わが子の身上を通し、理の親たるの心をしっかり定めるよう。 四、 子供のない場合 (1) 子供の授からないのは前生いんねんによる。与えられた境遇をたんのうして通ること。 (2) 子供があたわらないのは自分らに、そのあたえがないからであり、しっかり徳を積むよう。 (3) 道を通れば理の子供があたわる。心に思い残すことのないよう勇んで通ること。
風邪は人間思案を先に立て、神一條の理をうすくし、不足のほこり心を遣ってはならない、ということをさとしていられる。風邪のため熱があるのは、人間思案の上から、一列兄弟の理を忘れ、一手一つを欠き、すれ合ってはならぬ、ということをさとしていられる。 \n\n 子供に関するおさしづを検索すると、次のような点が指摘されている。 一、 親と子の関係 (1) 子供は先祖の魂の生まれ更わりである。親が子となり子が親となり、互いに恩の報じ合いをして通るのである。 山沢さよ姉は祖母に当たる梶本ひさ姉の生まれ更わり、永尾たつゑ姉は永尾家三代前の母の生まれ更わり、増野道興氏は祖父庄兵衛氏の生まれ更わりである。 なお前生いんねん果たしができていなければ、そのいんねんを今生に持ち越す。また親がいんねん切りの道を通れば子供はしあわせになる。親がたすけ一条の道を通らなければいんねんは切れない。 (2) 嗣子はいんねんによって結ばれる。よい子を持つも、よくない子を持つも、すべていんねんによる。 (3) 子供は先祖から受け継いだ理を享けて通るものである。ただ一代限りだと思ってはならぬ。理は末代である。 二、 子供とは (1) 子供は各自持って生まれた徳分を持つ。子供が幾人いても神が引き受ける。 (2) 子供は十五歳まではおやのいんねん、すなわち十四歳以下は親のいんねん、先祖代々のいんねんを担うものであり、十五歳以上は本人の心遣いによる。現在教会本部で戴くおまもりは、十四歳以下は子供おまもりを戴く、十五歳以上は大人のおまもりを戴く。 (3) 子供は宝である。仮に今は宝のように思えなくとも、将来かけがえのない宝である。 三、 子供の身上 (1) 子供の患いは一家中の患いである。 (2) 子供の身上は、親の心遣いの投影である。山沢ミキノ姉の上げ下し、永尾たつゑ姉や梶本ミチ姉の夜泣きは、親の心の投影であると言われる。 (3) 子供の身上より心を定めよ。子供の身上は精神定めの台である。小児深谷景三の身上障りを通し、河原町分教会の事情定めによって、甲賀・水口・湖東の分離昇格が打ち出された。山名分教会の諸井政一氏の身上によって後継者問題が再確認された。 (4) 親にとって子供は可愛いものである。わが子の身上を通し、理の親たるの心をしっかり定めるよう。 四、 子供のない場合 (1) 子供の授からないのは前生いんねんによる。与えられた境遇をたんのうして通ること。 (2) 子供があたわらないのは自分らに、そのあたえがないからであり、しっかり徳を積むよう。 (3) 道を通れば理の子供があたわる。心に思い残すことのないよう勇んで通ること。