おさしず検索
本部より板倉槌三郎岐阜県青森県地方及びその外それ/\へ、喜多治郎吉山口県鹿児島県地方へ信徒視察その都合により又外それ/\へ派出を、教長より命ぜられ行く事願
さあ/\尋ねる事情、さあ/\これから皆所々それ/\の処、あれこれと言うであろ。一つの事情皆見える一つの理、皆それ/\一つ遠く所どうやろう言うであろう。先々は未だ掛かりとも言う。さあこれからという、これから皆々それ/\十分道を作り上げるなら、多くの中、どんな道を付けるやら知れんで。さあ心一つで行て来い。心一つで作り上げるなら、あゝこんな事であったか、今まで知らなんだと言う、何したんどいなあと言う。楽しみの日が見えるで。又中の中心の内一手一つで通るなら、これからどんな道が付くやら知れんで。さあ一寸楽しみの理聞かして置こう。
【説明】
(1) 岐阜県と青森県地方などへ、板倉氏、山口県と鹿児島県へ喜多氏が本部より派遣され、信徒視察に出向くに当たっての伺いである。 (2) 地方の国々先々では、道はまだこれからである。皆の努力精神によって、それぞれの道をつくりあげてくれ。心一つで道をつくりあげるなら、あとあと楽しみの日が見える。また心から一手一つの心がけで通るなら、これからどんな隆盛な道の状態になるかしれぬ。
(1) 岐阜県と青森県地方などへ、板倉氏、山口県と鹿児島県へ喜多氏が本部より派遣され、信徒視察に出向くに当たっての伺いである。 (2) 地方の国々先々では、道はまだこれからである。皆の努力精神によって、それぞれの道をつくりあげてくれ。心一つで道をつくりあげるなら、あとあと楽しみの日が見える。また心から一手一つの心がけで通るなら、これからどんな隆盛な道の状態になるかしれぬ。
【摘要】
おさしづにおける出張・巡教については、対外的出張と対内的出張とがある。体内的出張とは教内出張、すなわち、 ①教会本部より地方へ、また地方教会へ出張 ②上級教会より部内教会へ出張 の二つに分けることができる。このうち①教会本部より地方へ出張の場合、布教のための出張と、地方教会事情解決のための出張などがある。布教のため、及び教会事情治め方のための出張に当たっては、 (1) 天理を心に治めて行ってもらいたい。天理は潰そうと思っても絶対に潰れるものではない。教会事情は天理が治まらぬからである。天理は立てば立つ、こかせばこけるのである。 (2) 子を育てる心、すなわち親心を持って当たってもらいたい。理の仕込みはもちろんながら、情でもって育てることも必要である。なお兄を育てると同様に、弟も育てるよう願う。皆の心をつなぐことが肝心である。 (3) 出張に当たっては心勇んで出かけてもらいたい。勇んで立つ心に親神は勇んで働く。そして道の話は鮮やかに諭してもらいたい。 (4) 布教者は自ら己が心のほこりを洗い、浚え、心を澄みきることが先決である。真実の理を心に治めて行ってほしい。 (5) 事情解決に当たっては、事情によって異なるであろうが、天然自然の理で事情を治めてもらいたい。心一つで道をつくりあげ、堅い道にしてもらいたい。 以上が布教及び教会事情治めのための出張に当たってのおさしづの要約である。 なお、教会本部より地方へ出張の場合、上のほかに明治三十四年十一月、内務省属官が調査にくるので本部より注意するため出張された。その時には、地方教会は信者が心を寄せて集まる所である。互いに注意し新密に融け合うよう計らい、かつ順序の道を伝えよと言われている。明治三十七年部下育成のための出張では、そこに一つの情愛という心ある。一人たすけたら万人たすかる。一人狂えば万人狂うと、修理巡教者の心の在り方を注意されている。
おさしづにおける出張・巡教については、対外的出張と対内的出張とがある。体内的出張とは教内出張、すなわち、 ①教会本部より地方へ、また地方教会へ出張 ②上級教会より部内教会へ出張 の二つに分けることができる。このうち①教会本部より地方へ出張の場合、布教のための出張と、地方教会事情解決のための出張などがある。布教のため、及び教会事情治め方のための出張に当たっては、 (1) 天理を心に治めて行ってもらいたい。天理は潰そうと思っても絶対に潰れるものではない。教会事情は天理が治まらぬからである。天理は立てば立つ、こかせばこけるのである。 (2) 子を育てる心、すなわち親心を持って当たってもらいたい。理の仕込みはもちろんながら、情でもって育てることも必要である。なお兄を育てると同様に、弟も育てるよう願う。皆の心をつなぐことが肝心である。 (3) 出張に当たっては心勇んで出かけてもらいたい。勇んで立つ心に親神は勇んで働く。そして道の話は鮮やかに諭してもらいたい。 (4) 布教者は自ら己が心のほこりを洗い、浚え、心を澄みきることが先決である。真実の理を心に治めて行ってほしい。 (5) 事情解決に当たっては、事情によって異なるであろうが、天然自然の理で事情を治めてもらいたい。心一つで道をつくりあげ、堅い道にしてもらいたい。 以上が布教及び教会事情治めのための出張に当たってのおさしづの要約である。 なお、教会本部より地方へ出張の場合、上のほかに明治三十四年十一月、内務省属官が調査にくるので本部より注意するため出張された。その時には、地方教会は信者が心を寄せて集まる所である。互いに注意し新密に融け合うよう計らい、かつ順序の道を伝えよと言われている。明治三十七年部下育成のための出張では、そこに一つの情愛という心ある。一人たすけたら万人たすかる。一人狂えば万人狂うと、修理巡教者の心の在り方を注意されている。