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山中彦七、桝井伊三郎島ケ原分教会治め方出張願

さあ/\尋ねる事情、さあ同じ一つの理、兄弟一つの理、理は一つ世界一つの理に、治め方/\と言うても、十分治まりある処も、十分治まらん処もあって、だん/\と三段の理。大いに先々困り居る処、出越して定めるがよかろ。余程運び難くいで。一度順序、兄も育て弟も育てにゃならん。この理、順序として諭し置く。出越す処は許し置く。
【説明】
(1) 島ヶ原の郡山より分離昇格事情については、分離の項で説明あり。明治二十八年二月二十六日および同年三月四日のおさしづ参照のこと。ここで簡単に事情を説明すると、明治三十一年万田会長は再び島ヶ原の分離昇格を願い出たが双方意見合わず、ついに本部に処置を願い出た。本部より桝井・山中両氏が出張し折衝の末、平野会長が諒承し、明治三十一年島ヶ原は分教会に昇格し、分離して本部直轄となった。  ところが、この分離の頃より教勢不振の兆候が見え始め、分離後一年足らずで部内に事情続出し沈滞の気ただよい、明治三十五年頃には島ヶ原の財政は紊乱し多額の負債を抱え、万田会長はついに辞職となった。このおさしづは、このような事態においての出張願いである。  ちなみに、万田会長辞任のあと明治三十六年十月平野会長が兼任し、島ヶ原部内教会整理と財政整理に尽瘁し立て直しをした。 (2) なるほど島ヶ原は分教会に昇格し、郡山より分離して本部直轄となったと言っても、同じぢばの理をいただき兄弟に変わりない。目下島ヶ原部内はつくし一条と教会建築などにより負債をかかえ沈滞気味であるが、それをぢば一つの理に治めるよう言っても、十分治まっている所と、そうでない所とあって徐々に守護するであろう。部内教会先々では大変困っている所があるから、出向いて行って治めてくれるがよい。よほど運びにくいであろう。しかし、順序をわきまえて兄も弟も育ててくれねばならぬ。
【摘要】
おさしづにおける出張・巡教については、対外的出張と対内的出張とがある。体内的出張とは教内出張、すなわち、 ①教会本部より地方へ、また地方教会へ出張 ②上級教会より部内教会へ出張 の二つに分けることができる。このうち①教会本部より地方へ出張の場合、布教のための出張と、地方教会事情解決のための出張などがある。布教のため、及び教会事情治め方のための出張に当たっては、 (1) 天理を心に治めて行ってもらいたい。天理は潰そうと思っても絶対に潰れるものではない。教会事情は天理が治まらぬからである。天理は立てば立つ、こかせばこけるのである。 (2) 子を育てる心、すなわち親心を持って当たってもらいたい。理の仕込みはもちろんながら、情でもって育てることも必要である。なお兄を育てると同様に、弟も育てるよう願う。皆の心をつなぐことが肝心である。 (3) 出張に当たっては心勇んで出かけてもらいたい。勇んで立つ心に親神は勇んで働く。そして道の話は鮮やかに諭してもらいたい。 (4) 布教者は自ら己が心のほこりを洗い、浚え、心を澄みきることが先決である。真実の理を心に治めて行ってほしい。 (5) 事情解決に当たっては、事情によって異なるであろうが、天然自然の理で事情を治めてもらいたい。心一つで道をつくりあげ、堅い道にしてもらいたい。 以上が布教及び教会事情治めのための出張に当たってのおさしづの要約である。 なお、教会本部より地方へ出張の場合、上のほかに明治三十四年十一月、内務省属官が調査にくるので本部より注意するため出張された。その時には、地方教会は信者が心を寄せて集まる所である。互いに注意し新密に融け合うよう計らい、かつ順序の道を伝えよと言われている。明治三十七年部下育成のための出張では、そこに一つの情愛という心ある。一人たすけたら万人たすかる。一人狂えば万人狂うと、修理巡教者の心の在り方を注意されている。

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