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桝井政治郎妻スヱ三十九才安産後の身上障りに付願
さあ/\/\、さあ尋ねる事情/\、さあ身上事情尋ねる。身上の理尋ねる。いかなる事情も諭するによって、よく聞き分けにゃならん。さあ/\よう聞き分け。第一一つ許しという、許しという。心の理皆々あろう。この一つ理からよう聞き分けにゃならん。どういうものでこういう事になった。さあ/\よう聞き分け。第一許しという、世界にまで及ぼしたる。身上の処、安産楽々の後こうなる。後考えも付こうまい。さあ/\よう聞き分けにゃならん。安産からこうなると更に持つな。これは世界では大層の理である。安産から後一つの理である。さあ/\何でこうなる。よう聞き分け。この理後々身上成ると成らんの理、事情いんねんの理諭し置くによって、よう聞き分け。難儀さそう不自由さそうという親は無い。兄弟は無い。この理から諭すから、よう聞き分け。まあ一時の処、一時どうとは無い。いんねん親々、それ兄弟、それ皆々の心も無くばならん。このいんねん諭してくれ。これだけの順序の理諭するによって、よく聞き分けにゃならん。ほんにそうやなあと言えば、身上の処一時どうとは案じる事要らん。親々日々と言えば心だけの事。家、しっかりと、これを定めてくれ。
押して、桝井の次男安太郎の事でも御知らせ下されますか
さあ/\尋ねる事情/\、さあ/\前々心一つ事情、どちらからこうこちらからどう、善い理と言うて成程と一つ順序の理治めたもの。事情によって、善きも悪しきも、親子でも兄弟でも、心の理は別派。たゞ心まで。日々日過ぐる。第一これよう聞き分けにゃ分からせん。親の心に取れば可愛もの。ならんという人の心、親のいんねんと言う。これ一つよう聞き分けにゃ分からん。年限経ったその後は、どうこうと言う。日々の事情、同じ兄弟同じ中にも、良く暮らして居るもあれば、どうこうとも言う。人心というは、めん/\のもの、身上かりものの中に、心に間違い、又々自分からの心はどうもならん。長らえての道筋、生まれ子同様、一つ心から一つ事情。成らん堪忍するが堪忍、という事もあるやろう。
押して、桝井の次男安太郎の事でも御知らせ下されますか
さあ/\尋ねる事情/\、さあ/\前々心一つ事情、どちらからこうこちらからどう、善い理と言うて成程と一つ順序の理治めたもの。事情によって、善きも悪しきも、親子でも兄弟でも、心の理は別派。たゞ心まで。日々日過ぐる。第一これよう聞き分けにゃ分からせん。親の心に取れば可愛もの。ならんという人の心、親のいんねんと言う。これ一つよう聞き分けにゃ分からん。年限経ったその後は、どうこうと言う。日々の事情、同じ兄弟同じ中にも、良く暮らして居るもあれば、どうこうとも言う。人心というは、めん/\のもの、身上かりものの中に、心に間違い、又々自分からの心はどうもならん。長らえての道筋、生まれ子同様、一つ心から一つ事情。成らん堪忍するが堪忍、という事もあるやろう。
【説明】
桝井政治郎、本部員。 第一をびや許しというものは、一般の者にも出してある。子の結構なをびや許しをいただいて楽々に安産させていただいた後、こういう身上のお障りをいただくとは考えもおよばないであろう。 難儀さそう不自由さそうという親はないし、兄弟はない。この理からさとすからよく聞き分けよ。今一時の処すぐにどうということはないが、因縁によって両親となり兄弟となるということを思案して、お互いにたすけ合って仲良くしなければならぬ。この因縁をさとしてくれ。 日々同じ兄弟の中に、仲良く暮らしているものもあれば又、仲良く行かないものもある。各自の心というものは各自のものであるが、身上はかりもので、その中の心に間違いがあると身上のお手入れをいただくようになる。自分勝手の欲心はどうもならない。長い間の道すがら、生まれ子というような心で通るように。一つの心から一つの事情が起こって来る。ならんかんにんするがかんにんということもあるであろう。という意味で、安産後の身上障りは、日々生まれ子のような無欲な心で、かんにんして通れということを指示されたのであろう。
桝井政治郎、本部員。 第一をびや許しというものは、一般の者にも出してある。子の結構なをびや許しをいただいて楽々に安産させていただいた後、こういう身上のお障りをいただくとは考えもおよばないであろう。 難儀さそう不自由さそうという親はないし、兄弟はない。この理からさとすからよく聞き分けよ。今一時の処すぐにどうということはないが、因縁によって両親となり兄弟となるということを思案して、お互いにたすけ合って仲良くしなければならぬ。この因縁をさとしてくれ。 日々同じ兄弟の中に、仲良く暮らしているものもあれば又、仲良く行かないものもある。各自の心というものは各自のものであるが、身上はかりもので、その中の心に間違いがあると身上のお手入れをいただくようになる。自分勝手の欲心はどうもならない。長い間の道すがら、生まれ子というような心で通るように。一つの心から一つの事情が起こって来る。ならんかんにんするがかんにんということもあるであろう。という意味で、安産後の身上障りは、日々生まれ子のような無欲な心で、かんにんして通れということを指示されたのであろう。
【摘要】
お産の障りについては、お道を通らせていただくことの不足、親や、夫や、兄弟姉妹に対する不足をいましめていられる。困難の中をも妊娠中たんのうして通らせていただくことが大切である。”不足は切る理”というお言葉の意味を十分悟らせていただく要があろう。
お産の障りについては、お道を通らせていただくことの不足、親や、夫や、兄弟姉妹に対する不足をいましめていられる。困難の中をも妊娠中たんのうして通らせていただくことが大切である。”不足は切る理”というお言葉の意味を十分悟らせていただく要があろう。