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湖東部内名古屋支教会長近藤嘉七中山重吉の次男寅次郎二十才養嗣子に貰い受け度く願

さあ/\尋ねる事情/\、縁談一条一つ理尋ねる事情十分々々の事情、道という事情、将来と言えば末代の心理ある。事情それ/\の心治まれば、いつなりと何時なりと事情許そ/\、さあ/\許し置こう。
【説明】
(1) 近藤嘉七氏 名古屋大教会初代会長。 新潟で赤痢に罹り鴻田忠三郎氏よりおたすけを受け、のち名古屋へ移り、養女の重病を湖東の谷田寅吉氏よりおたすけを受けて以後専心布教する。明治二十四年集団所を設置する。明治四十年後継者として中山重吉氏の次男寅次郎氏を養子に迎えたいというおさしづを伺う。 (2) 寅次郎を迎えるという事情願いは、もっともな事柄である。道は将来末代の心が大切である。双方の心が治まるなれば、いつなりと運ぶがよい。許しおこう。  翌明治四十一年寅次郎氏は近藤家に入籍した。名古屋支教会は明治四十二年分教会に昇格したが、その後部内教会の教勢振るわず負債がかさみ、大正十一年近藤嘉七氏は名古屋分教会長を辞任し、湖東大教会の役員として勤務することになる。
【摘要】
教会ならびに一般家庭の後継者の問題は、男子の嫡子がいる場合は継承について、さほど問題となることはない。――もっとも事情によっては嫡男がいても廃嫡(嫡子としての身分を廃止すること。ただし現在の民法にはない)した場合は、やはり家庭事情として問題になる。しかし、それはそう多い出来事ではない。  ところが嫡男がいない場合は深刻な悩みである。娘に婿養子を迎える、あるいは実子がいない場合は養子(男でも女でも)を迎えることになる。おさしづには、いろいろの伺いがある。それを整理すると次のような場合がある。 一、 娘(実子)に婿養子を迎える場合。 二、 実子がないので、他家より養子(養女のこともある)を迎える、それも幼少から迎える場合と、成人してから迎える場合とがある。 三、 他家へ養子に出す場合。 四、 その他。 しかしおさしづの神意をうかがうと、実子がある場合と、ない場合の違いはほとんどない。ここではおさしづに説かれている要旨を中心に、考察を進めてみることにする。 (1) 養子を迎えるのは、理と理を寄せ合うのである。実子のない場合も同じで、理を結ぶのである。すなわち、これは深い親神のお計らいによるものである。 (2) 親子の結びつきは前記したように、いんねんによるものであり、養子(養女も)を迎えるに当たって、将来末代の心、生涯変わらぬ心、元一日の心をもって迎えること。 (3) 心と心が結ばれることが大切である。二人の心、双方の心、親々の心、それぞれが結ばれ、治まることが肝心である。 (4) 人おのおのいんねんが異なる。養子を迎えるいんねんの人もあれば、嫁に出すいんねん、嫁に行くいんねんの人もある。何よりもいんねんの自覚が大切である。一方、感謝とたんのうの心がなければならぬ。 (5) 幼少の者を養子に迎えるに当たって、将来を楽しむことである。「あちらにあるもこちらにあるも同じ理」「皆暮らすも同じ理」である。ゆえに心配はいらぬと言われている。 (6) 他家へ養子に出す場合も迎える場合も、その心構えがなければならぬ。あたえがなければならない。 (7) 別家を立てる場合、心の休まるよう運べと言われ、事情に応じて善処することを指示されている。 おさしづには一例として、笠岡の上原ふさ姉に川合家を立てさせたい、との伺いがある。この場合「主の心にその心添わすが精神」と言われ、主人の心に添って処置せよとさしづされている。 (8) 嫡男がいながら、ある事情のために、あとを継ぐことができぬ場合、後継者をどうするかということは非常に難しい問題である。この場合事情により善処するように、と言われる。  おさしづでは、その一例として、敷島の上村氏の長男庄作氏を後継者とするか、と伺った。すると、養子を迎えようにも迎えにくい。可哀想な者であるから「優しい処以て治めるよう」と、親心あふるる処置を指示されている。

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