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三重県より奈良県へ照会せしに付、伊賀地方布教のため橋本清、永尾楢次郎出張願
さあ/\/\これ尋ねる事情/\、どうも道は一つの道であって、行き止まり一つの事情、どうも分かり難ない。一時には分かり難ない。さあ/\よく聞き分け。道事情の理を諭す。他の事情は思いにも心にも掛けず、これまでの事情聞いて居るやろ。立てば立つ、倒かせば倒ける。これ一つ天の理という。この理を心得ば、何一つの難も無いという。
明日より出立の願
さあ/\順序々々、心得々々、おとなしく行けば明らかな道が付く。これ一つ諭し置く。
明日より出立の願
さあ/\順序々々、心得々々、おとなしく行けば明らかな道が付く。これ一つ諭し置く。
【説明】
(1) 当時三重県より奈良県へ何を照会してきたが不明であるが、三重県島ヶ原支教会の地方局認可は明治二十三年、四年と三度却下され、二十五年一月四たび出願した。三重県は信者の少ない所であり、反対激しく意気沈滞し委縮気味であったが、橋本・永尾両氏がこの年二月二十三日より二十七日まで連日阿拝郡下において講演し、お陰で信者の活気が盛り上がり、復古改祭するもの続出という状態となった。ために、この巡教の数日後の三月五日、島ヶ原支教会設置地方庁認可となった。 (2) 三重県下の道は現在行き止まりの有様であるのは、どういうわけかとお前たちは思案顔であるが、なるほど一時にはわかりにくいであろう。道の理合いを諭ししよう。これまでの事情は聞いて知っているであろう。立てば立つ、倒かせば倒けるのである。これこそ天の理である。この理合いを心得て事に当たれば、何一つ難はないのである。
(1) 当時三重県より奈良県へ何を照会してきたが不明であるが、三重県島ヶ原支教会の地方局認可は明治二十三年、四年と三度却下され、二十五年一月四たび出願した。三重県は信者の少ない所であり、反対激しく意気沈滞し委縮気味であったが、橋本・永尾両氏がこの年二月二十三日より二十七日まで連日阿拝郡下において講演し、お陰で信者の活気が盛り上がり、復古改祭するもの続出という状態となった。ために、この巡教の数日後の三月五日、島ヶ原支教会設置地方庁認可となった。 (2) 三重県下の道は現在行き止まりの有様であるのは、どういうわけかとお前たちは思案顔であるが、なるほど一時にはわかりにくいであろう。道の理合いを諭ししよう。これまでの事情は聞いて知っているであろう。立てば立つ、倒かせば倒けるのである。これこそ天の理である。この理合いを心得て事に当たれば、何一つ難はないのである。
【摘要】
おさしづにおける出張・巡教については、対外的出張と対内的出張とがある。体内的出張とは教内出張、すなわち、 ①教会本部より地方へ、また地方教会へ出張 ②上級教会より部内教会へ出張 の二つに分けることができる。このうち①教会本部より地方へ出張の場合、布教のための出張と、地方教会事情解決のための出張などがある。布教のため、及び教会事情治め方のための出張に当たっては、 (1) 天理を心に治めて行ってもらいたい。天理は潰そうと思っても絶対に潰れるものではない。教会事情は天理が治まらぬからである。天理は立てば立つ、こかせばこけるのである。 (2) 子を育てる心、すなわち親心を持って当たってもらいたい。理の仕込みはもちろんながら、情でもって育てることも必要である。なお兄を育てると同様に、弟も育てるよう願う。皆の心をつなぐことが肝心である。 (3) 出張に当たっては心勇んで出かけてもらいたい。勇んで立つ心に親神は勇んで働く。そして道の話は鮮やかに諭してもらいたい。 (4) 布教者は自ら己が心のほこりを洗い、浚え、心を澄みきることが先決である。真実の理を心に治めて行ってほしい。 (5) 事情解決に当たっては、事情によって異なるであろうが、天然自然の理で事情を治めてもらいたい。心一つで道をつくりあげ、堅い道にしてもらいたい。 以上が布教及び教会事情治めのための出張に当たってのおさしづの要約である。 なお、教会本部より地方へ出張の場合、上のほかに明治三十四年十一月、内務省属官が調査にくるので本部より注意するため出張された。その時には、地方教会は信者が心を寄せて集まる所である。互いに注意し新密に融け合うよう計らい、かつ順序の道を伝えよと言われている。明治三十七年部下育成のための出張では、そこに一つの情愛という心ある。一人たすけたら万人たすかる。一人狂えば万人狂うと、修理巡教者の心の在り方を注意されている。
おさしづにおける出張・巡教については、対外的出張と対内的出張とがある。体内的出張とは教内出張、すなわち、 ①教会本部より地方へ、また地方教会へ出張 ②上級教会より部内教会へ出張 の二つに分けることができる。このうち①教会本部より地方へ出張の場合、布教のための出張と、地方教会事情解決のための出張などがある。布教のため、及び教会事情治め方のための出張に当たっては、 (1) 天理を心に治めて行ってもらいたい。天理は潰そうと思っても絶対に潰れるものではない。教会事情は天理が治まらぬからである。天理は立てば立つ、こかせばこけるのである。 (2) 子を育てる心、すなわち親心を持って当たってもらいたい。理の仕込みはもちろんながら、情でもって育てることも必要である。なお兄を育てると同様に、弟も育てるよう願う。皆の心をつなぐことが肝心である。 (3) 出張に当たっては心勇んで出かけてもらいたい。勇んで立つ心に親神は勇んで働く。そして道の話は鮮やかに諭してもらいたい。 (4) 布教者は自ら己が心のほこりを洗い、浚え、心を澄みきることが先決である。真実の理を心に治めて行ってほしい。 (5) 事情解決に当たっては、事情によって異なるであろうが、天然自然の理で事情を治めてもらいたい。心一つで道をつくりあげ、堅い道にしてもらいたい。 以上が布教及び教会事情治めのための出張に当たってのおさしづの要約である。 なお、教会本部より地方へ出張の場合、上のほかに明治三十四年十一月、内務省属官が調査にくるので本部より注意するため出張された。その時には、地方教会は信者が心を寄せて集まる所である。互いに注意し新密に融け合うよう計らい、かつ順序の道を伝えよと言われている。明治三十七年部下育成のための出張では、そこに一つの情愛という心ある。一人たすけたら万人たすかる。一人狂えば万人狂うと、修理巡教者の心の在り方を注意されている。