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本部丑寅の方城作次宅地引き合いに付、昨日お願い申せば席を変えて悠っくり尋ねよ、との事に付、右宅地に就ては如何と願

さあ/\事情々々以て事情尋ねる。さあ尋ねる事情には諭せにゃならん。諭というはどういう諭なら、急ぐ事あれば又急がん事もある。地所々々というは、あちらこちら所から何処までと定まり無い。一時以てどうせいこうせいとは言わん。成る処から事情、年限事情を以て心を寄せ/\、何処から何処まで何がありたら、何処がありたらと思う。何ぼ害になる処放って置け。成る処から心寄せ、成程これだけという。成らん処無理にどうせいこうせいとは言わん。中にどんな事ありたて、成る処から軽き事情ほんにそうと心を寄せ、一つぢば/\と言う。何でも彼でも及ばす。刻限来ん。あちらこちら成程という処から何でも及ばす。年限の理を以て及ばす。何時一時に寄せるとも分からん。どうして寄せるなら、これまで成って来た道を見よ/\。年限来たら皆寄せる。そこで何ぼ真ん中に又邪魔になりたて構わん。大きい出来たる中に、道という道路というものがある。すっきり一やしきにするは、未だ/\一寸には行かん。ほんの些か尋ね合い、些かの事なら尋ねるまで。扶け合い扶け合いなら何時でも許し置く。尋ねるまで。大層の処世界にもならん。何ぼでも出来んよって。これをよう聞き分け。

押して、些かの処は何時でも許し置くと仰せ下され、大層の処じっとして置くよう仰せ下さるが、成る処から買い求めさして貰いまして宜しきや願
さあ/\幾重にも聞き分けにゃならん。幾重も諭し置く。ほんに扶け合い、些かはどうでもこうでも寄せにゃならん。心から心運んで来たなら何時でも。大層はどうでもならん。道の理によって日が来る。悠っくり長い心で、急いで掛かれ/\。
【説明】
(1) おやしきの東北の方にある城作治氏宅を、本部に購入したい考えがあったが城氏が手放さなかった。 (2) やしきの地所は、どこからどこまでと定まりはない。今一時どうせよとは言わぬ。できるところから、また年限をかけて心を寄せてくれ。どこからどこまでと定まりはない。いま一時どうせよとは言わぬ。できるところから、また年限をかけて心を寄せてくれ。どこからどこまで屋敷整備をしたいから、あの地所があったらと思う。なんぼ害になる所があっても放っておけ。無理をしないように。ぢばを何でも拡張しようとする。しかしまだ旬が来ていない。どうして寄せようかと思うならば、今日に至るまで成って来た道の次第を見てみよ。年限くれば皆集まる。現在真ん中にぽつんと残っていて、屋敷整備の上で邪魔になると思うであろうが、それでもかまわぬ。だんだん広く整備されて来たけれど、道路というものもあるではないか。すっきり一やしきにするには、すぐにはいかぬ。ほんのわずかの土地なら、尋ね合い交渉してみよ。何よりもたすけ合いが肝心である。面倒なところなら、世間でも事がうまく運ぶまい。このところを、よく聞き分けて事に当たってくれ。 (3) 大切なことは、たすけ合いの心である。わずかの土地なら、どうでも寄せてくれ。心を運んできたならいつでも許す。大層なことはいけない。天理によってその日がくる。ゆっくり気長に、しかも時によっては機敏に処置をしてくれるよう。
【摘要】
本部の地所に関するおさしづを通覧すると、次のような点に神意が現われている。 (1) 神のやしきの地取(範囲)は、既に神意として定まっているということ。かねがね教祖は「八町四方は神のやかた、奈良初瀬七里は宿屋ばかり」と仰せになっており、遠大な親神の思召しが着々実現されていくことになる。 神のやしきの地取りはすでに定まっている (明治22・10・20) 縄を張って何間何尺定めたるようなもの (明治26・6・13) 元のやしきへ成って来る (明治23・4・24) 年限だん/\重なれば八町四方になる (明治27・11・17)    というようなお言葉に、そのことがうかがえる。 (2) 道の子供たちが親神を慕って帰って来るぢばであるゆえに、広い地所が必要である。教祖十年祭を迎えるに当たって教祖殿建築につき伺うと、  親の内は地所さい広がりたら十分。子供戻るぢば無うてはどうもならん (明治28・3・10) と言われ、これより詰所がぢばに建築され賑やかとなる、広い地所を神はお望みである。  広く要る/\、急くも神、抑えるも神の働き (明治22・8・18) (3) おやしき拡張のための地所買い入れは、申すまでもなく親神の親心によってご守護をいただくのである。  地所集め掛けたる処、大抵々々もう少しの処、直きに集めさして了う (明治28・11・14)  道の理運んで万事の処心さえ持って働きさえすれば、どんなことでもさしてみせる (明治33・4・20) (4) おやしき拡張整備のための土地購入は急いではならぬ。年限によってご守護をいただくのである。  年限という処から、ぼち/\掛かれば成る (明治34・2・10)  成程という処から何でも及ばす。年限の理を持って及ばす (明治32・1・15)  大木の大きくなるようなもの (明治28・8・19) また、旬がくれば口を開いたように、鮮やかに順調よくご守護をいただく、とも言われる。教祖五年祭(明治二十四年)を迎えるに当たって、その前年のさしづには、 広くぢばが要る。要るというて前にも諭したれど、やしきの取りようもないと思うやろう。なれど一つ口が開けたら皆寄り来るであろう。(中略)仮家普請差掛普請、一寸始め掛けた (明治23・6・21)    それは日覆いを取り除けるようなものだと言われている。 (5) 土地買い入れについての人の心の在り方はどうであればよいか、と言えば、この点については、  大層々々は受け取れん。大層してはたすけ一条何もならん (明治33・3・16)  かけ合いなら何時でも許し置く。尋ねるまで。大層の処世界にも成らん (明治32・1・15) しかも大切なことは、各人の発意によるものであって、無理なことは神は受け取れぬ、と言われている。  運ぶ尽くす理は受け取る。(中略)しようまいと思たて、出来掛けたら出けるで (明治25・6・20)  何にも進めるやない、頼むやない (明治22・10・23)  いずれ広くならにゃならん。(中略)人の心によりて心一つ成るものや (明治34・11・13) ――親神の深い思惑によって、親神のご計画が着々実現されつつあることに間違いはない。かつ、道の普請(建物の場合)は仮普請で、更に将来へ向かって発展する一過程における普請であることが特徴的で、道の子供たちの勤めは、一日も早い親神の思召し実現に努力することである。  先々育てて成人したら、どんな所からどういう事出けるやら知れやせん (明治28・11・14) と、非常に子供の成人に期待をかけられている。そのご期待に応えるには、どのように努めればいいか、この点が最も肝要なところであろう。

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