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田原支教会久保楢治郎二十二才と片桐村字小泉勝田源七長女マスヱ十七才と結婚願
さあ/\尋ねる事情/\、縁談一つ尋ぬる処、又内々、又内々、人々の心の理を結び/\、又内々の事情/\、それ/\治まれば何時なりと/\。
押して貰い受けの御許し下され度く願
さあ/\尋ねる/\事情々々、何時なりとと言えば、さあ/\何時なりと心に委せ置こう/\。いつ何時なりと心に委せ置こう/\。
押して貰い受けの御許し下され度く願
さあ/\尋ねる/\事情々々、何時なりとと言えば、さあ/\何時なりと心に委せ置こう/\。いつ何時なりと心に委せ置こう/\。
【説明】
(1) 縁談については双方とも、内々すべての者の心が一つに結ばれるのであれば問題はない。
(1) 縁談については双方とも、内々すべての者の心が一つに結ばれるのであれば問題はない。
【摘要】
(1) 縁談には何よりも二人の心と心が寄り合い、通い合っていることが大切である。 (2) 神の理に基づいて事を決め、それを生涯末代までもと思い定めてかかることが肝要である。 (3) 縁談とはいんねんあって結ばれるものである。だから互いに心を寄せ合い、つなぎ合って、将来いつまでも治まっていくもと(基礎)をつくるべきである。 (4) 本人同士は言うまでもなく、双方の親をはじめ、みんなが十分に納得し「やれ嬉しい」という喜びの心の理が合っていることが大事である。そうしてこそ、その縁談は十分なまとまりを見ることができる。 (5) 人間思案の義理や都合から判断して、事を運んではならない。重要なのは互いに、真実の心を結び合うことであって形ではない。 (6) 自ら心治まっているのならば、独身であっても何ら差し支えはない。
(1) 縁談には何よりも二人の心と心が寄り合い、通い合っていることが大切である。 (2) 神の理に基づいて事を決め、それを生涯末代までもと思い定めてかかることが肝要である。 (3) 縁談とはいんねんあって結ばれるものである。だから互いに心を寄せ合い、つなぎ合って、将来いつまでも治まっていくもと(基礎)をつくるべきである。 (4) 本人同士は言うまでもなく、双方の親をはじめ、みんなが十分に納得し「やれ嬉しい」という喜びの心の理が合っていることが大事である。そうしてこそ、その縁談は十分なまとまりを見ることができる。 (5) 人間思案の義理や都合から判断して、事を運んではならない。重要なのは互いに、真実の心を結び合うことであって形ではない。 (6) 自ら心治まっているのならば、独身であっても何ら差し支えはない。