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昨日増野正兵衞身上のおさしづより一同協議の上願

第一、梶本楢治郎、飯降まさゑ縁談に付、前々おさしづに一度開くと仰せられこの儀は元々通り寄せる事に致しますものや、又は更に運びまして宜しきやさあ/\何か順序も、これまでどういう事もこういう事も、身の障りから尋ねる。ちょい/\とのさしづ。もうどうもこうも、何でも彼でも刻限諭したい。なれど諭す事出け難ないから、あちらにも一寸こちらにも一寸、身上に印付けたる。心得んから尋ねる。尋ねたらちょい/\とのさしづしてある。掛かる処によって、まあまあと言うて延ばして了う。身上から尋ねる。尋ねる度に諭したる。なれど判然諭す事出け難い。十のものなら三つ、後七つ道理に適わん事もある。これまでから取りて見れば、どんな辛抱も発散もせにゃならん。なれど、人々の心変わって、道理を捨てゝはならん。人に恐れるから、道理を外さんならん。人に恐れるようでは、一時の処は通れるが、通るに通れんようになる。日々順序運ぶ中に籠りある。一つ一つ聞き分け。十人ある中、上三人後七人の者、これどうなるか。どれ程偉いと言うても、どちらへ働きあるか、どちらへ神の守護あるか。よう聞き分け。人間の理を立てるから、だん/\道の理が薄くなる。人間の力で通れるか。道の理が無けねば守護は無い。これで道が通れるか。

押して、前の事情願
さあ/\尋ねる処/\、兄弟三人の道理、事情尋ねる。もう一つの処、ならん/\の理合わせ。心という一時思た理が変わり、観念の心は止めて居るから、人の心委せにゃならん。それで満足。よう聞き分け。僅かの年限の中に、心に掛かりて、何が楽しみあるか。

さあ/\彼これと一つ出掛けたら、あちらもこちらも出る。古い口失うて了て居る。催促あったら放って置けん、というようではならん。三人兄弟という。もう二人はそこい/\。後一人、傍から見れば、あらどうするのか、どうかせにゃなろうまい、と言う者もある。前々何故あゝいう事になったと思うやろ。よう聞き分け。人と人と心合わねばどうもならんとは、前々よりも縁談事情に皆諭したる。分からんやあろうまい。長いようで短い年限の事、これ聞き分けたら何かの事も分かるやろう。


第二、たゞ今普請中の建物前々刻限にて名前を付けると仰せられしは右は誰の名前として宜しきや
さあ/\尋ねてくれる処/\、尋ねにゃならん。刻限で諭したい。なれど、日々遅れに皆遅れたる。あちらこちら身の障りから尋ねる。尋ねたら一つ/\理を諭したる。合わせてくれ。人は観念して居る。なれど、観念の中の理を聞き分け。今日不自由暮らしさそと言うて、連れて戻りた者やない。安楽暮らしをさそ、と言うて連れて戻りた。何箇年以前から判然ならん中から連れて戻りた者や。つれて戻りてからの難儀苦労見分けたら分かるやろ。この道理聞き分けてやれ。聞き分けてやらにゃならん。

押して、まさゑの名前に致しますや
さあ/\どうしてくれ、こうしてくれ、これは席から言わさん。道理にある。道理より運ばにゃならん。何でもないと思たら何でもない。道に理からすれば軽いものやあろまい。

第三、上田ナライトの事情願(おぢばへ連れ帰る事)
さあ/\皆これまで/\、時々に戻りてそれ/\まあ/\当分と言うて、順序運び掛けたる。前々心にこれはっと思た一日の日がある。この理がどうも解けんから、戻ろうと思えども戻る事出けん。心に、はぁと思うから戻れん。よう聞き分け。存命中から一つの理を授けたる処、めん/\身に何一つの粗相も無く、今日までという。六年以前、これはと思た一つの理から、明らか事情に治めて早く運んでくれ。道のため一つの理を授けたる者が、邪魔になるように思て居ては、どんな事出けるやら知れんで。どうにもこうにもならん、というような事情になってからには、どんならんで。早く一つの道を運べ/\。

第四、梶本宗太郎十三才になればやしきへ引き寄せると仰せられし処本年は余程年限も経ちますに付、如何運びまして宜しきや
さあ/\尋ねる事情/\、どれだけどうしたい、これだけこうしたいと思うても、心という理が治まらにゃどうもならん。早くからどうこう思うてもならん。なれど、放って置いてはならんで。それ/\心の順序に委せ置こう。

四点の御願相済み一同手を打ちし後に続いて
さあ/\もう一筆々々という、どういう事であろう。早う一点を打ちてしっかり筆を取れ。これまで/\皆それ/\の中、大抵あら/\聞き分けて居る。万事の中という、第一という。中に一つの道理から諭す。返す/\くどう/\諭すのは、可愛から諭すのや。うっかり思うて居たらならんで。出けてからはならん。詰め合い事情、前々諭したる。よう/\の道理を結び、二三回はそこい/\なれど、来にゃ来んまゝ、出にゃ出んまゝではなろうまい。来ても来いでも知らし合いはせにゃならん。知らしても用がありゃ出らりゃせん。人がありゃ行かりゃせん。俺に沙汰が無かったと言うようでは、どうも判然ならん。曇り/\の理が出る。この理重なりたらどんならんで。禍というは皆心から出る。初めは小さいものや。なれど、小さい理が大きいなればどうもならん。何ぼ大きい疵でも防いだら防がれる。なれど、小さい疵は放って置いては大きな疵になる。この心を以て日々という。これ一つ聞き分けてくれ。

押して
さあ/\よう聞き分けにゃならん。十のものなら九つ半まで行ても、後半の事で皆消えて了う。めん/\身に比べてみよ。出ても出いでも、言うだけ言わにゃならん。言うて今日はこうやと言えば、それで満足。行けんと言えば、何じゃいなあと、心を濁す。三人や四人寄ってする事、一時間や二時間は包まれる。なれど、三四時間経てば、直ぐ八方へ分かるやろう。

又一同手を打ちし後へ
万事そこえ/\嵌まりたか。一時間や二時間くらいは何でもないで。心に嵌まるだけ尋ねてくれ。存命より写し込んだる理がある。一時は危ないような理も諭す。なれど、日柄が経てば、皆理に集まりて来る。真実の諭という。よう聞き分けにゃならんで。
【説明】
(1) この年宗太郎氏は二十歳となり、先の約束の十三歳という年齢を過ぎて七年にもなるので、いかがしたものかと伺う。 (2) 梶本家家族がおやしき入り込みについては、どれほどどうしよう、こうしようと思っても家族内々の心が、それぞれ合わねばどうしようもない。その理が治まらん先からどうこう考えてみたところで仕方がない。といって放っておいてはいけない。皆の心の理が治まるよう順序を運んでやってくれ。
【摘要】
親神の深い思惑から身上・事情にお手入れをいただき、道に引き寄せられ、更に一段の成人を望まれると、旬がくるや待ったなしに道一条にならざるを得ない。この道一条の具体的な形として、教会入り込み(住み込み)ということになる。  飯降伊蔵様はじめ、教祖のおそばにお仕えなされた道の先輩先生方は、はじめ道に引き寄せられて遠方から通われるうちに、だんだん道のご用も繁くなり、徐々におやしき入り込みとなられた方が多い。ここには、」その中のごく一部のおさしづを採録したに過ぎないことをお断りしておきたい。  さて伊蔵様は、元治元年入信以来おやしきへ通われた。 「丸九年という/\。年々おお晦日という。その日の心、一日の日誰も出て来るものもなかった。頼りになる者無かった。九年の間というものは大工が出て、何も万事取り締まりて、よう/\髄いて来てくれたと喜んだ日ある。」(明治34.5.25)  飯降伊蔵様は教祖から親子揃うて早くおやしきへ帰ってくるよう、たびたびお言葉をいただかれたにもかかわらず、道のどん底時代のこと、秀司先生ご夫妻への気がねもあり、親子もろとも移り住むことは教祖にご心配をかけることになるとて逡巡せられたという。しかし明治十四年伊蔵様の家族の身上障り(伊蔵様の腰痛、二女まさえ姉の眼、政甚氏のにわかに口がきけなくなった障り)によって、いよいよ心定めせられ、伊蔵様ご自身が櫟本を引き払っておやしきへ伏せ込まれたのは明治十五年三月であった。伊蔵様五十歳、おさと様四十九歳の時である。かくのごとく伊蔵様は入信以来二十年間櫟本から通われ、その後おやしきへ伏せ込まれることになった。本稿の「教会入り込み」事情の中には、伊蔵様のおやしき伏せ込みについては触れていない。  ところで、教会入り込み(住み込み)事情に関しては、 一、 おやしき入り込み 二、 地方教会入り込み の二つに分けることが出来る。また、教会へ入り込みをする立場の者と、それを迎える側の立場とある。  ここで前掲おさしづによって要約すると、次のことが言えると思う。教会入り込みにあたっては、 (1) 一つの理(親神様の思召)を心に治めること (2) 元一日を忘れず将来末代道のご用に勤めさせて頂くという決心を固めること (3) 住み込み人は理を積み重ねなければ、教会に置いてもらいたいと思っても置いてもらえないこと (4) おやしきに入り込ませていただく者は、どれほどの理がある者でも、ぢばの理が心に治まらねば駄目になること (5) 入り込み人を迎える立場の者は、一つの理(親神の思召)を心に治めてそだててもらいたいということ このような点を心して通るよう仰せられているよう拝察する。これは道一条を通る者の心すべき点、すなわちいんねんの自覚とその洗いかえ、まただめの教えたるゆえんを、よく心に治めるという点に帰するものであろう。(金子圭助)

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